サッカーのボスマン判決をわかりやすく解説

サッカーのボスマン判決をわかりやすく解説

今日のサッカーでは選手の移籍が頻繁に行われていますが、この流れには1995年に欧州司法裁判所が下した『ボスマン判決』が大きな影響を与えています。

本記事では、サッカーの『ボスマン判決』が何なのか、どのような背景があったのか、判決後の影響についてわかりやすく解説していきます。

 

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ボスマン判決の概要

ボスマン判決の概要

『ボスマン判決』とは、1995年12月15日に欧州司法裁判所が下した判決であり、EU圏内のクラブと選手に大きな影響を与えました。

その内容は、1.EU圏内の国籍を保有している選手は、所属クラブとの契約終了後に自由に移籍できる。2.EU圏内において、EU圏内の国籍を保有している選手を外国人扱いできない。というもの。

1.については、『ボスマン判決』以前の移籍制度では、クラブは選手との契約を満了した後も所有権を持ち、クラブが認めない限り選手は他クラブに移籍することができませんでした。それが同判決によって、クラブは契約を満了した選手の所有権を主張できなくなり、選手は他クラブへ自由に移籍することが認められました。

ボスマン判決以前と以降の自由移籍

 

2.については、『ボスマン判決』以前では、欧州各国のリーグにおいてEU圏内の国籍を持つ選手に対しても外国人枠が設定されていましたが、それが違法とされ、撤廃を余儀なくされました。これにより、例えばスペイン人やイタリア人などのEU圏内の国籍を持つ選手が、ドイツやフランスなどのEU圏内の国でプレーする際に外国人扱いを受けなくなりました。

ボスマン判決以前と以降のEU圏内国籍保持者の外国人の扱い

 

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ボスマン判決の背景

ボスマン判決の背景

ボスマン判決 2人の中心人物

無名のサッカー選手『ジャン=マルク・ボスマン』と、若手弁護士『ジャン・ルイ・デュポン』の2人が『ボスマン判決』における中心人物です。

  • ジャン=マルク・ボスマン
    『ボスマン判決』の最重要人物は、ベルギー出身のサッカー選手『ジャン=マルク・ボスマン』。過去にベルギー代表U21に選ばれたことがあるものの、そのほかに特に目立った経歴はありません。この、輝かしいとは言えないキャリアを歩んだサッカー選手が、後に欧州サッカー界を揺るがす『ボスマン判決』の中心人物の1人となります。
  • ジャン・ルイ・デュポン
    『ジャン・ルイ・デュポン』は、リエージュ大学法学部卒の若手弁護士であり、ベルギーサッカー協会と欧州サッカー連盟(以下、UEFA)を相手に訴訟を起こすことを提案した人物であり、彼もまた『ボスマン判決』の中心人物の1人です。

 

移籍できずに失業

『ボスマン判決』に至る経緯は1990年6月、ボスマンが所属していたRFCリエージュとの契約が満了したことから始まります。

当時RFCリエージュは財政難に陥っており、当時のベルギーリーグが定める最低の年俸を提示しましたが、当然ボスマンはこれに不服であり、フランス2部のUSLダンケルクへの移籍を画策します。

ボスマンは、RFCリエージュが提示した約3倍の年俸でUSLダンケルクと合意しましたが、RFCリエージュが待ったをかけます。

『ボスマン判決』以前の移籍制度では、契約満了した選手の所有権は前所属クラブにあり、そのクラブの合意がなければ他クラブに移籍できないというものでした。

その後、RFCリエージュはUSLダンケルクと一旦はボスマンの移籍について合意しましたが、一転USLダンケルクの支払い能力に疑問を抱き、結局移籍は破談となってしまいました。

これにより、ボスマンはUSLダンケルクへ移籍することができず、RFCリエージュは同選手を戦力外にしたためどこにも居場所がなく、半ば失業状態になってしまいました。

 

ベルギーサッカー協会とRFCリエージュを訴える

RFCリエージュでプレーすることも他クラブに移籍することもできなくなったボスマンは、1990年8月にベルギーサッカー協会とRFCリエージュを相手に裁判を起こします。その内容はRFCリエージュがボスマンの所有権を放棄することを求めるものでした。

同年11月に勝訴を勝ち取り、晴れて自由に移籍できるようになったボスマンは、フランス2部のオリンピック・サン・ケチンと契約し、同年12月から翌年の5月までプレー。

しかしその後は、クラブとサッカー協会に対してトラブルを起こしたボスマンと契約したがるクラブは現れず、いくつかのアマチュアクラブでプレーした後にキャリアにピリオドを打ちました。

 

UEFAを訴える

ベルギーの若手弁護士ジャン・ルイ・デュポンは、この恵まれないサッカー人生を過ごしたボスマンに、ベルギーサッカー協会と統括団体の欧州サッカー連盟(以下、UEFA)に対して裁判を起こすことを提案します。

その内容は、契約満了後は自由な移籍が認められるべき、というもの。これは当時の枠組みでは到底受け入れられるものではなかったため、ベルギーサッカー協会とUEFAは全力で抵抗しました。

しかし1995年12月15日に欧州司法裁判所は、契約満了後の選手が自由に移籍することを認め、さらにEU圏内の国籍を持つ選手を、EU圏内において外国人扱いするべきではないとの判決を下しました。

これが『ボスマン判決』であり、同判決により欧州サッカー界は、それまでの移籍制度の根本的な見直、外国人枠の撤廃など、それまでの枠組みを大きく変更せざるを得ない結果になりました。

 

ボスマン判決の影響

ボスマン判決の影響

移籍が流動的に

『ボスマン判決』により、選手は契約満了後に自由に移籍することができ、EU圏内の国籍保持者が外国人扱いされなくなったため、選手の移籍が流動的になりました。

これは、選手としてはボスマンのように、どのクラブでもプレーできない飼い殺しが無くなったり、より高い年俸を手にできたりと良い側面もありますが、資金力で勝るビッグクラブと劣る中小クラブの格差が広がってしまった負の側面もあります。

 

移籍金と年俸の高騰

『ボスマン判決』による、契約満了後の自由移籍と、EU域内の選手は外国人扱いしないことが相まって、ビッグクラブはEU圏内のスター選手の争奪戦を繰り広げます。

選手を売る側のクラブとしては、より高い移籍金を支払うクラブに売却したく、移籍する選手はより高い年俸を提示するクラブに移籍したがるのは当然であり、その結果、ビッグクラブはマネーゲームを繰り広げ、今日に続く移籍金と年俸の高騰の一端になっています。

ただし、移籍金や年俸の高騰にはボスマン判決の影響だけでなく、放映権料の増加も影響しています。

 

中小クラブが草刈り場に

『ボスマン判決』で契約満了後の自由な移籍が認められたことにより、選手にとって他のクラブに移籍したい場合に、現所属クラブとの契約満了を待つことが選択肢の一つになりました。

クラブにとって、選手がタダで他クラブに移籍することは好ましくなく、特に中小クラブにとってチームの戦力が、契約満了後にタダで出て行くことは、戦力的、経済的に大きなマイナスです。

これに対して、年俸を上げて契約を延長を打診する対策が考えられますが、資金力に劣る中小クラブがビッグクラブと張り合うことはできません。より高額な年俸を提示されれば選手はそちらに流れます。

中小クラブは、契約満了後にタダで出ていかれるよりはマシと考え、契約が残っているうちに選手を売却(残りの契約期間を買い取ってもらう)して移籍金を得るか、タダで出ていかれることを覚悟して契約満了までプレーしてもらうかのどちらかです。

もう一つの対策として、最初に長期的な契約を結ぶことが挙げられます。長期的な契約を結んでいれば、急いで売却する必要がなく、移籍金の交渉の際も強気に出られます。ただ、これからステップアップを望む選手は、クラブから出にくくなるため、これを嫌います。

いずれにせよ、中小クラブの選手が、資金力のあるビッグクラブに引き抜かれる構図は変わりません。

 

ビッグクラブと中小クラブの格差の拡大

中小クラブは、ビッグクラブが繰り広げるマネーゲームついていくことはできず、前述したとおり草刈り場になっています。この状態では戦力を高めることは困難であり、現在の戦力を保つのがやっとです。

もちろん長期的なプランニングや選手の育成、それに合う監督やコーチ、スカウトを雇うことでチームを強化することはできます。ですが、それは一時的なものに過ぎず、結局に金満クラブが選手、監督、ときにはスタッフ陣まで買い漁る草刈り場になってしまうことに変わりはないのです。

一方、ビッグクラブは潤沢な資金によりチームを強化でき、安定的にチャンピオンズリーグの出場権を獲得できます。チャンピオンズリーグは本戦に出場するだけでも莫大な賞金が得られ、さらにマーケットプールによる分配金もあり、これはビッグクラブがより多くのそれを獲得できます。

これにより、資金力のあるビッグクラブはさらに強く豊かになり、中小クラブの戦力的格差、経済的格差は広がる一方です。

 

世界全体に波及

これまでは『ボスマン判決』はEU圏内においての話でしたが、同判決の影響により2005年にFIFAが契約満了後の選手は自由に移籍できることをレギュレーションに明記し、これに従うよう各国に通達しました。

Jリーグにおいても、かつては契約満了後の選手の保有権をクラブが主張でき、その選手の移籍による移籍金を得ることができましたが、2009年の半ばにFIFAに従う形でこの新しいレギュレーションを採用しました。

 

まとめ

今回は『ボスマン判決』について解説しました。無名のサッカー選手『ボスマン』とベルギーサッカー協会及びRFCリエージュとのトラブルから、UEFAを相手にした大きな論争に発展し、欧州司法裁判所が下した判決は、欧州サッカー界ひいては世界中のサッカーに影響を与えました。

同判決により、より高額な年俸を受けとれるチャンスのある選手や、資金力のあるビッグクラブにはメリットがあったものの、中小クラブは戦力的、経済的に大きな打撃を受けることとなってしまいました。

ただ、『ボスマン判決』は、良くも悪くも現代のサッカーにおける大きなターニングポイントの一つであったことは間違いないと言えます。

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